芝居の稽古中、ほぼ毎日盛劇に娘を連れて行っていたので、今も娘は保育園の帰りになると『盛劇に行きたい』と言うことがある。
けど、子どもなりに察しているのだろうか?私が連れて行かないのではなく、私自身が盛劇に行く理由がないことを感じているのか、芝居後はパタッとダダをこねなくなった。
人一倍頑固で、強情な面があるなと思う一方で、こういう時の直観的な物分かりの良さには舌を巻く。
こういった面は、自分の子どもに限らず、子どもが子どもとして生きていく上での処世術なのかもしれない。
ところで、劇団に所属していない私にとって、もう一度舞台に立つことを現在想像するのは難しい。
でも、不完全燃焼感がどうしても拭い切れないまま二週間弱経過した。
その間私は、毎日何かしらの本を読んだり、一曲歌詞をつけてみたり、一本の脚本を書いてみたりした。
たぶん、いまだに気分がハイなんだと思う。
脚本は月曜日の朝に出来上がった。
本当は決めていたプロットやアイディアがあったのだが、およそその通りには行かないものとなった。
しかし、せめて一本は書いてみたいと思っていたことが、意外とすんなりいったのは予想外だった。
おそらく、舞台の使い方を自分なりに毎日考えていたことが結構役に立っているのだと思った。
正直、これまでにも何度か挑戦したことはあった。
けど、最後まで行けたためしが無かったので、そういう意味では内容はともかくとしても(いや本当に)、長年出来ずにいたことの一つが叶ったという思いはした。
そして改めて感じるのは、様々な作品を生み続ける作家がどれだけ偉大かってこと。
そして、その中でも確かに評価を受け続ける人がいるっていうこと。
そう考えてしまうと、一本出来ただけで喜んでいる自分がなんともちっぽけに見えてきたよ。
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